Welcome to AFS YP15

粕谷みゆき

粕谷みゆき

粕谷みゆき

Maynard Evans High School
Orland, Florida

AFSと私と英語

● 英語が好きだった中学生の頃
話は中学生の頃に遡りますが、中学校に入って私にとって何より新鮮だったのは、全ての教科を違う先生から教わることと英語の授業があったことでした。3歳年上の姉のいる小学生だった私にとって、家でアルファベットを書いたり、英語の教科書を音読していた姉の姿は、眩しくうらやましいものでした。さて中学に入り英語の授業が始まってみると、当時は数少ない憧れの職業のスチュワーデスをしていたという先生は上品でかっこよく、先生も英語もたちまち大好きになってしまいました。勉強なんて大嫌いだった私が英語の授業だけは、わくわくしてしまったのです。先生の力は大きいですね。それに英語の響きがなんとも面白かったのです。

● 夢を実現させてくれた高校
高校を受験する段になって、迷わず志望校第1位にあがったのが都立三田高校という学校です。毎年数人アメリカの高校に留学生を送っていると聞いたからです。英語は、世界に通じる窓のような役割を持っているのでしょう。英語好きが高じて、いつの間にか当時一番身近な外国のアメリカに興味がひしひしと沸いていました。高校入学が叶い、AFSの留学から戻ってきた先輩たちに会う機会を得て、いろいろな話を聞いているうちに留学の夢は大きく膨らみました。その先輩たちが、結構難関といわれていたAFSの試験(当時文部省が実施)対策のレッスンを後輩の私たちにボランティアでしてくれました。また担任の先生も励ましのことばをくれました。お陰でわたしを含め4人もその年の試験に合格することができたのです。幸運という他ありません。

● 初めての飛行機に乗ってアメリカはフロリダへ
飛行機に乗ることさえ大事の時代でした。ニューヨークのJFK国際空港まで見送りにきてくれたAFSの職員の方から、ここからはあなたたちだけで行きなさいね。グッドラック!と言われた時のショックは今でも昨日のように覚えています。ドキドキしっぱなしで到着したホームステイ先はフロリダ州のオーランドでした。今ではDisney Worldがあり、有名な都市になりましたが、当時はタッパーウェアーの本社工場があるくらいの小さな町で、長閑で南国情緒溢れるやさしい町でした。
家族は、グレープフルーツ工場の監督官をしていた優しいお父さんとフロリダ電力に勤めていた世話好きなお母さん、私と同じ高3のKaren(根っからのパーフォーマー)と小6のAlice(まだまだ甘えん坊)、そして犬のBlackieです。私はKarenと同じ部屋をシェアーすることなり、最初は譲り合っていましたが、次第に朝などはバスルームの大きな鏡(お化粧のため)をどちらが先に占拠するかでもめました。また、私をいれた3姉妹で皿洗い当番を交代で行うのですが、都合で順番を交代した後などは訳がわからなくなり喧嘩もするようになり本当の姉妹のようになっていきました。そして誰よりもお母さんと仲良しになり、買い物についていっては、二人だけで内緒で美味しいものを食べたりした楽しい思い出がいっぱいです。

● 何から何まで新しい経験のMaynard Evans High School
私がこの高校にやってこられたのは、学校のAFSクラブというクラブのメンバーがバザーをして資金集めをしたり、招致の活動をしてくれたお陰としばらく経ってから知りました。彼らの活動は留学生のためだけにあるようなものでした。彼らのボランティア精神には頭が下がります。
授業で一番印象深かったのは、Americanism vs Communismというクラスで、先生は一切教科書などを手に持つことがなく、教室中を常に歩き回って生徒一人ひとりと目を合わせて語り続けるのです。それも必ずジョーク混じりで聞いている者を飽きさせません。また、「先生は自分たちに選択の自由を与えようとしないのでおかしい!」と議論を吹っかける生徒もいて、過激な内容もさることながら、この生徒と先生が対等にやりあう姿にはただ驚くばかりです。高校生が自分の意見をしっかりと持ってそれを主張できること、それを育む環境があることが新鮮でした。

● 今でも続く家族や友人との交流
留学した一年以来これまでに、3回ほどフロリダを訪ねたでしょうか。ある時は夫と子供と。また、ある時は一人で。フロリダのお母さんも日本を訪ねてきてくれました。会えばすぐに高校時代の頃の自分に戻ってしまうから不思議です。また、フロリダで一緒だったフィンランドから来ていたAFS生とも仲良くなり、その後彼女を訪ねてフィンランドに行き、今でも連絡を取り合っています。こんな宝物が得られたのもAFSのお陰と感謝しています。

● AFS留学への切っ掛けを作ってくれた英語と今の私
アメリカに住んで、英語大好き人間だった私が、先ず気付かされたのは、自分の聞く力が本当に無かったことでした。最初の1~2ヶ月は、夜9時以降は飽和状態になり、何を言われても集中できないほど英語を聞き取ることに疲れてしまいました。当時は自分の力の無さにがっかりしていましたが、今は、自分が受けてきた英語教育の偏りもあったと思っています。英語の音声が圧倒的に欠落していたので無理はなかったと。
大学でも好きな英語関係の学科を卒業し、学校の英語の先生にはならなかったものの、英語教育関連の会社にずっと勤めて、そこで主に小学生と中学生に英語の指導をしてきました。今や国際語としての地位を確立した英語は、現代人にとっての必須の言語と言っても過言ではないと思います。
今時代は変わりましたが、日本の英語教育の環境は一見変わったようでいて、それほど変わっていないのが現実です。世界の中では遅れているといってよいでしょう。英語コンプレックスはまだまだ日本人の中に根強くあります。これからの子どもたちには、それを払拭してほしいと願わずにはいられません。英語が上手、下手ではなく、また成績が良いとか悪いとかではなく、必要な時に生活の一部として英語が使えれる日本人であって欲しいと思います。馬鹿の一つ覚えのようですが、微力ながらも英語教育に何らかの形で関わり続けていきたいと思っている私です。

powered by Quick Homepage Maker 4.8
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional