Welcome to AFS YP15

綾川正子

綾川正子

綾川正子

Thomas Jefferson High School
Falls Church, Virginia

AFSに乾杯!

1. AFSへの道~母とNHKラジオ英語口座と幼稚園に感謝、感謝、感謝

■ 母とNHKラジオ英語講座

私がAFSの存在を知ったのは、6歳上の長姉がAFSで留学することになった小学校5年生の頃です。大正生まれの母は、自分が大学に進学したかったにも拘らず、女性に高学歴は不要との周囲の考えからその願いが叶わず、海外留学を含む自分の夢を、三人の娘に託してまっしぐらにつっぱしった50歳とちょっとの人生を送りました。家ではよくNHKのラジオ英会話講座がかかっており、私も中学入学後熱心なリスナーになっていました。経済的に決して楽ではなかったなかで、英語力向上を可能にしてくれた母とNHKのラジオ英語講座には感謝してもし切れません。
 
■ 幼稚園からの思いがけない贈り物 
私の英語人生で忘れられないもう一つの出来事は、通っていた幼稚園に宣教師の方が英語教室を開くことになり、母と次姉と三人で一緒に毎週末楽しく通ったことです。レッスンは毎回、“Follow me”の後、“Matthew、Mark、Luke, John”から始まりました。それが、「マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ」という福音書の名前であることを知ったのは、それから十数年経ってからです。
小学校時代にすっかり忘れていたそのレッスンの威力を認識したのは、中学校に入って英語教育が始まった時です。津田塾出身の美人の誉れ高い英語の先生が「thはベロ8ミリよ!」などなど、身振り手振りで懸命に指導するのですが、中学校で初めて英語に接するクラスメートの多くは、日本語の辞書にない発音を習得するのに本当に苦労していました。私は「思いもかけず」身につけることができていた「きれいな英語の発音」を、中学・高校時代に留まらず、留学先でも就職してからも褒められ続けました。貴重な「人生の宝物」を授けていただいたことに深く、深く感謝しています。

■ 日本の英語教育に思う~やり方次第で日本人全員の英語力向上が可能!
私が「たまたま」得た経験と、高知県有数の進学校といわれる土佐中学のクラスメートが遭遇していた問題は、日本の英語教育のあり方について幾つかの重要な示唆を含んでいるように思います。第一は、正しい発音の習得は、幼時期の方が遥かに容易であること、第二は、日本は優れた公共教育番組を有しており、それを活用することで、大金を投じなくても英語力の向上が可能であることです。他方で、極めて重要な点は、「正しい発音のできない先生が低学年で英語を教えることは、音痴の先生が音楽を教えるようなものであり、寧ろ弊害が大きい」ということです。また、低学年での文法の詰め込みも不要であり、その習得は中学校からでも遅すぎることはないように思います。
AFS同期の佐藤良明元東大教授が、「リトルチャロ」の制作を始め、公共番組を通じて英語に親しむことを重視した教育改革を実践して来られたことに、心から拍手と声援を送りたいと思います。

2. いざ留学!~心に残った出来事の数々
 私の留学先は東部バージニア州のなかでも比較的首都ワシントンDCに近い北部のFalls Churchというところでした。高校の名前はThomas Jefferson High School。近隣のスポーツライバル校にはRobert E. Lee High Schoolがあり、公共物に英雄の名前を使うことが好きなアメリカ人の一端を垣間見た気がしました。今思えば、「古き良きアメリカの中産階級」の家庭と高校が持つ「バイタリティー」の数々を目の当たりにしたように思います。

■ 印象に残った出来事(その1):社交性の豊かさ~“相手のよさをまず褒める”
 ホストファミリーは両親と一才下の妹の3人家族で、家族が一人増えたことをとても歓迎してくれました。さっそく多くの人々に紹介されたのですが、初対面の人が悉く私の白い腕時計をみて、“Oh, it’s so pretty!” “I like your watch!”などなど、褒めちぎって下さることに正直戸惑いました。その後私もだんだん慣れて、顔を合わせる人々に対して、洋服や装飾品など印象に残る点を積極的に見つけ出し、褒め言葉を発するようになりました。こうしたあいさつの仕方に象徴される、米国社会の持つ「能動性」に強く触発され(年後半には多少疲れも感じましたが)、留学前と留学後の私は、受動的性格から能動的性格へと「劇的ビフォー・アフター」の変貌を遂げたように思います。

■ 印象に残った出来事(その2):自主性の尊重~“You don’t have to, if you don’t want to”
 留学当初、まだ右も左もわからない私は、親切な説明を数多く受けましたが、その時によく言われたのが“You don’t have to, if you don’t want to.”でした。私にはとても新鮮な言葉でした。日本で感じていたよりも遥かに自主性が尊重され、「自分の判断を求められている」と感じました。帰国後、社会人になってからも、「自分で考え、判断する」ことを強く意識するようになったように思います。

■ 印象に残った出来事(その3):国語の授業内容が全く異なる!
 高校で最も驚いたのは国語の授業内容が日本と全く異なることでした。先生を真ん中に円形になり、授業はディスカッション形式で、授業中の積極的発言如何も重要な評価の一部でした。
また、論文の書き方の習得にも重点が置かれていました。まず「①“Introduction”でテーマの選択理由を述べ、次に②“thesis sentence”(主文)で自分の主張を述べ、その次に③“Body”として、“thesis sentence”をサポートする理由を三つあげ、一つずつパラグラフに纏め、最後に④“Conclusion”として一連の展開の纏めを書くこと」を教わりました。
アメリカでは国語の授業において、「自分の考えを表現し、何故そう考えるかについて説得力ある論理展開」を行うことに重点が置かれており、日本の国語の授業にはないコンセプトです。この「国語の授業」が米国の議会制民主主義の重要な土台部分となっているようにも感じました。

■ 印象に残った出来事(その4):活発なディベートと政治論議を楽しむ風土
  ディベートは活発で、コンテスト形式で行われていました。まず、決められた時間内に自分の主張「thesis sentence」とその根拠を述べる時間が与えられます。次いで、相手に反論する時間、最後にそれに応戦する時間が与えられます。論戦終了後、審判団が優劣の判断を下しますが、議論の展開のうまい方にフェアに軍配があがります。高校生の段階から、「説得力ある論旨の展開技術」が磨かれていくのを目の当たりにしました。
家庭では、親戚が集まると談論風発という感じで政治論議によく花が咲きましたが、そこには笑いが絶えず、時の経つのを忘れるという場面に度々遭遇しました。アメリカ料理には高い評価が与えられていませんが、「アメリカ人は、政治論議をエンジョイする余り、食事の味は二の次になっている」というのが私の印象です。

■ 印象に残った出来事(その5):「よく学び、よく遊ぶ」バイタリティー
 学校ではスポーツが盛んで毎週末、夏はアメフット、冬はバスケットボールの地域内対抗試合が開催され、週末はデート日にいそしみ、パーティが頻繁に企画されます。その「よく学び、よく遊ぶ」バイタリティーに圧倒される思いでした。他方で、月曜から金曜日には学業に専念するべく外出が制限されており、例えばAFS主催の催しが平日にあってクラスメートを誘っても、“I have to ask my Mom.”という返答が第一声で、子供の教育にも目を光らせている母親の存在を感じました。

3. 帰国後の留学生活の反芻
 AFSの留学を経て、米国という日本とは全く異質の社会を経験することで、物事を常に「複眼的」にみることができるようになったように思います。帰国後、日本のよさを改めて感じる点があった一方、日本には存在しない英語の諺の深さも痛感しました。

■ 世界に誇る「カイゼン運動」~工場レベルにおける素晴らしい民主主義の確立
 帰国後は、大学を経て、金融機関の調査部で希望通り発展途上国の経済発展要因やカントリーリスクを分析する仕事に携わることができました。
日本のよさを最も感じた点は、日本人が得意とする物造りの現場における「カイゼン運動」です。「カイゼン運動」は、①全ての工場従業員が同等の立場で発言権を有し、②自ら考えて改善案を提案し、③提案の是非につき議論して迅速に結論を出し、④結論を迅速に実行するという4つの要素からなっており、素晴らしい民主主義の確立だと思います。この観点からみた場合、80年代の米国は工場レベルでは民主主義とは程遠かったといえます。

■ 目を覆わんばかりの日本における議会制民主主義の未成熟
工場レベルに比し、政治面における日本の議会制民主主義の未成熟は目を覆わんばかりです。日本は破竹の経済発展を遂げた後、長期低迷が続いています。危機脱却のためには農業政策やエネルギー政策を始め、既成解答のない問題に自ら答を見出し、かつ最善のコンセンサス形成が必要です。日本の長期再建には、英語教育の改革に加えて、「自分の考えを纏め、表現する」ことをより重視した国語教育の改革も不可欠であるように思います。

■ ”To err is human, to forgive, divine“という概念の日本における欠如
最後に、米国にあって日本にない私の最も心に残る諺を紹介させていただきます。それは”To err is human, to forgive divine.” です。アメリカ人は英雄が大好きで、公共物によく人名をつけますが、一方で、「人間とは過ちを犯す動物である」という考え方が社会の根底に存在しています。キリスト教が深くかかわっていますが、私は宗教とは関係なく、年を重ねるにつれて ”To err is human”という言葉の持つ重みを感じるようになりました。
その概念の下では、人間が簡単に神格化されることはなく、また人間が行う行為について「絶対に安全である」ことを鵜呑みにすることもありません。そこでは、不完全な人間が行う行為に対して、それが最善であるかを吟味するべく常に議論が重ねられることになると思います。また、最後は「文殊の知恵」に勝るものはなく、人間の英知への相応の信頼も併存するように思います。
日本は原発事故という未曾有の危機に直面していますが、「東電叩き」を憂慮しています。人間は誰かのみ100%悪いということはあり得ないにも拘らず、東電に全ての責任を押し付けることで、問題の本質を見誤る可能性が高いからです。「不完全な人間なれど、目標とすべき最善は何か」という謙虚さ持ちつつ議論を重ね、最適解に到達する努力を積み重ねる必要があると思います。

4.還暦後の人生
還暦世代となりましたが、曽野綾子さんの「老いの才覚」などを総合すると、日本人が心身の衰えを感じるのは平均すると75才前後のようです。となると、あと15年程、「人生のエネルギー余剰時代」を迎えることになります。3つほど頭をよぎるものがあります。
一つは日本の将来が心配で、子供たちに少しでもより良い日本を残せるように、できることは何でもやりたいという気持ちです。
二つ目は、東日本大震災被災者への支援の継続です。現地で支援に奔走している方々と連絡をとりながら、こたつの手当て等、自分でできることを細く長く続けたいと思います。
三つ目は、大家族制が崩壊する一方、コミュニティー社会が十分に発達していない日本の都会における高い未婚率への憂慮です。少子化に歯止めをかけるために何よりもまず切実に必要とされているのは、高額の手数料を取る結婚相談所を補完する、無料で奔走する「お人よしでおせっかいな仲人役おば(あ)さん」ではないかと思う今日この頃です。。 。
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