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澤 正幸

澤 正幸

澤 正幸

T君への手紙

 T君、今回はリユニオンのお世話、御苦労様でした。君の人徳というか、多くの人が引きつけられ、協力されたのも君の性格、タレントのなせる業ですね。

君の通っていた高校の英語教師が僕の父だったせいで(君のクラスは受け持っていなかったけど)君には特別な近さを感じていたし、君も僕に親しくしてくれて嬉しかった。

  僕の留学先はオクラホマ州、タルサ市ウィル・ロジャース高校でした。お互いどんな体験をしたか、ゆっくり分かち合うこともなく今日まできてしまったことを 思うと、今回のリユニオンの企画はすばらしかったし、僕は今回、参加できなかったけど、文集が計画されて、そこに投稿することで参加を許されて感謝してい ます。

 リユニオンのメール・リンクでたまたま、磐梯でのオリエンテーションのとき、散歩でみた植物の群生のことが書かれていたのを見た けど、あそこに集っていた僕たちは、みな、それぞれに強烈な感受性を研ぎ澄ませた若い魂だったんだと改めて思いました。実は僕にとっても、あの磐梯ですご した数日間に、おおげさな言葉は慎みたいけど、僕の人生を決する決定的な出来事がありました。そのことは君にもこれまでちゃんと話す機会がなかったと思い ます。この機会にそれを伝えようと思って、これを書いています。

 オリエンテーションが始まって何日目だったか、授業のような形で、いろ んな準備が進められていく中で、休み時間のような休憩時間が入っていました。そのとき、僕は何人かの人と一緒に(君も行ったかどうかは覚えていない)体育 館に行ってバスケットをしました。床が濡れていたのか、僕はシュートしようとジャンプして転倒し、頭部を強打しました。しばし気を失うほどのショックでし たが、何とか起きあがって、チャイムでも鳴ったのか、みんなが帰るので、それについて体育館を出ました。そのとき既に意識がおかしくなっていて、みんなに ついて部屋に入って行くのですが、自分の座る場所がわからない、今、自分が何をしているのかがわからない、記憶喪失状態になっていたのです。

  自分が記憶を喪失していることは自覚していて、何とか記憶を取り戻そうと、手掛かりをつかむために、窓の外を眺めて、ここがどこか、自分はいつ、どうやっ てここにきたかを把握しようとする。机の上におかれた資料やプログラムによって、時間的前後関係を理解しようとする。しかし、何もわからない、記憶を取り 戻す手掛かりとなるものは、何もないままに時間は経過していきました。

 だんだんと孤立感が深まって行きました。自分の名前がわからない。それを聞こうにも、尋ねることができない。もし、自分がだれであるのか、自分が知らない名前を告げられたら、それを背負って生きて行かねばならないことになる、それは空恐ろしいことでした。

  何となく、自分が頭を打ったような気がしたので、コブでもないかと頭に触ってみるけれど、何の外傷もない。どうしたらよいのか、次第に焦りが募ってくる中 で、ふと心に浮かんだことがありました。それは(僕の両親は熱心なクリスチャンで、僕はクリスチャンホームで育ちました)自分が幼心に神を信じていたこ と、しかし、自我に目覚めるなかで、それは親が信仰を持っていたのであって、自分自身が神を信じているわけではないと、神への信仰を留保する状態にあった ということでした。どうして、このときにそんなことが心に浮かんだのかはわかりません。危機的状況だったから、やはり神にすがり、祈ろうと思ったからかも 知れません。でも、単純に、素直に祈れたわけではなかったのです。むしろ、いざ、祈るのかというときに、心の内にこう囁く声がありました。「お前は神に祈 るつもりか。待て。お前にとってそれは最後のカードじゃないか。それを切ったら、もうお前には後がないぞ。もし、神がいなかったら、お前は発狂するほかな いじゃないか。」

 僕は、そのような心の逡巡のあと、その逡巡をも含めてありのままに祈ったのです。「自分は神への信仰を留保してきた。そして、今、神が存在しないなら、自分は駄目になるしかない。でも、どうか元に戻してください。」

  その時です。僕の横に座っていた人が、黄色いカーデガンを僕の肩に掛けてくれたのです。それは、T君、君です。恐ろしくて、外界から自らを遮断せずにおれ なかった僕に、外から手が差し伸べられたのです。その瞬間、ふっと、まるで走馬燈のように、自分が体育館で頭部を打って、訳がわからなくなったのではない かという思いが心に浮かんだのです。それで、こわごわと、僕の肩にカーデガンを掛けてくれた、そう君に、「僕、頭を打ったんだっけ?」とおずおずと口を開 いたのでした。そると君は「そうだよ、さっきから、お前がどうなっちゃったかと思って、恐ろしかった」、確かそう言ったと思います。

 以 上が、僕の身に起こったことです。その後、僕が神を信じて歩んできたこと、それも喜びと感謝をもって神を信じて生きてきたことは、わかってもらえるでしょ う。AFSの一年間も、その後、紆余曲折を経てではありますが、牧師になったことも、すべての原体験は磐梯での出来事にあります。

 ここ まで書いてきて、どうしても思い及ぶのはKさんのことです。Kさんは君と同じ高校で最高にできる、素晴らしい人でした。でも最初のホストファミリーのホス トマザーが病気になって、急遽、受け入れ家庭が変わり、その新しいホストファミリーが受け入れ態勢ができていなかったために、彼女は精神的に追い詰められ て、中途で帰国せざるを得ませんでした。でもその心の痛手は癒えることなく、彼女は生涯それから立ち直れませんでした。AFSの一年間がKさんの一生を狂 わせました。

 T君。僕はひょっとしたら、あの磐梯から中途帰宅していたかも知れない。精神状態に異常を来したまま帰宅せざるを得なかったかも知れない、今、Kさんのことを思いながら、そう思わずにおれないのです。

 あのとき磐梯に集っていた100人余りの若い魂に、その後、起こった多くの出来事の一断面を書かせていただきました。

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